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September 25, 2006

昔の母の1日

最近、母の1日を考えてみる事がある。

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介護と両立出来ずに仕事をやめ、
母親(私の祖母)の介護が終わった頃の事。

朝、ゆっくり起きる。仕事に行かなくていいのだから。
だいたい11時ぐらいかな。

新聞を読んで、パンとバナナを食べる。
牛乳は飲んでいたかな~覚えていない。
TVを見ていると、夕方になる。

もう暗くなったから夕飯だわ。
買い物にいかなきゃ。
真っ暗になった頃やっと出かける。

お気に入りはお刺身。
パックのご飯を温め、夕飯にする。
食後はひたすらTVを見る。
いつまでもいつまでも、朝の4時頃まで見ていて、
それからやっと寝る。

その繰り返し。
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そんな事を思い出していたら、TVで河上和雄さんが
老人には「きょうよう」が必要ですと言っていた。
「教養」ではなく「今日、用事がある」の意味。

朝起きた時に予定があれば生きられる。
活き活きできる。

母も始めは努力していた。
カウンセラーの仕事を再開するつもりだったのか、
技術を磨く為に講座に通って勉強をしていた。
しかし、指導する方と仕事に対する考え方が合わずに
止める事になったようだ。

その後は↑に書いたような毎日が続くようになった。
時々は出かけようかなと思うらしいが、
思い立つのが朝食後しばらくしてだと3時か4時。

何を着ようか考えていると暗くなってくる。
そして、今日は止めようとなる。

職場の友達以外に友達はいなかった。
今も問題になる性格は昔からで
私達ともうまくいかなかった。
どうしているかなと電話をすると
「煩いわね!」の一言で切られてしまう。

皆関わらないようにして暮らしていた。

趣味も友も持たなかった母は
単調な暮らしで刺激もなく、その結果が
アルツハイマーだったのかと思っている。

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Comments

お久しぶりのjunです
>老人には「きょうよう」が必要です
なんとも なんとも うまい表現なので
思わず コメントしました

老いも若きもみんな「きょうよう」があるから
生きていられるのかもしれません
死ぬまで「きょうよう」が必要なのかも

Posted by: jun | September 25, 2006 at 08:08 AM

ワー、早起きjunさん、お久しぶりです。
来てくださってありがとう。
お元気ですか?

私も母の1日に近づきつつあり、
「きょうよう」を作ろうと思っています。

外からのお誘いを待っていても
そんなに都合よくいきません。

介護で気持ちがすっかり内向きになって7年
すっかり老けました。

Posted by: mitsu | September 25, 2006 at 10:00 AM

パソがだめになったけど、息子のちょっとかりてうろついてます。これも依存症かな~~

父も具合が悪くなりはじめたころ、「することがないんだよ」と悲しげに言ってました。82まで仕事してたし、几帳面で家のこともこまごまできる人だった。用事を自分で見つけることができなくなり、鬱っぽくなってました。
母もそう、縫い物をすごくする人だったけど、いつのまにか
何もしなくなり、朝方までテレビみて、10時頃起きて、新聞は
一応みて、あとはうつらうつら。そして脳梗塞でアルツハイマー。私は、いま、内向きの心で、ほんと用を作りたくないと思ってます。でも父の介護関係者の出入りする人数といったら
・・もう疲れるけど、これがないと私もつぶれてるし。
お母様、カウンセラーだったのですね、だから今もついつい
人が気になっちゃうんでしょうね。

Posted by: ygracia | September 26, 2006 at 10:40 AM

こんばんわ。

母上様の一日の様子。
介護の無い日のわたしです。
私は数年前から『約束する』ことが苦手になりました。

今でも母に鍛えられているんですね。明日も早くから
病院に行き洗濯があります。

Posted by: mohyo | September 27, 2006 at 12:17 AM

りっぱなお母さまだったのですね。
だから、よけいにギャップが哀しいです。

私は、母に甘えますめ。元々甘えたな私ですが、
「ママ、ママ」と小さな子供みたいに、必要以上に甘えます。
くっついて挨拶もします。母が倒れる前は、ここまでしたことがありませんでした。
「この子は甘ちゃんだから」と嬉しそうにします。
洗濯物をたたむのも母の仕事です。手伝いません。
日常は、実際、孤独だろうなと思います。話題がないのですもの。 私が一方的に話していることが多いので、もっと建設的な何か、普段、家にいたら一緒に何かできるんだけど・・・
と考えることもありますが、すごい体力が要りそうだと知っています。
今日見た地下鉄の広告に、台所を作れば徘徊がなくなるとありました。それも、この意味かなぁ。

Posted by: だんばらぴっぐ | October 03, 2006 at 11:55 PM

ygraciaさん、こんばんわ。

最近眼の調子が悪くて、夜は痛くて辛いです。
そう言いながらも、ネットしているのが悪いのでしょうね。

でもネットのお友達に逢えないと淋しくて、
毎日巡回してしまいます。

早くblog再開してくださいね。待っています。

「今日、用」がないのは人間を廃用症候群にしますね。
私だって1人でぼんやりデスクの前に座っていると、話す事も、書く事も、立ち上がる事もなく、置物になったように感じます。

それが毎日続けば、言葉がうまく出なくなったり、字が書けなくなったり、歩き方がたどたどしくなったりするんでしょうね。

親が老化を防いでくれているのかもしれません。

>お母様、カウンセラーだったのですね・・・

そう、だからよ~く気が付きます。

もう亡くなりましたが、親戚に看護婦がおりました。
療養型のホームで生活していましたが、
点滴が終わった人がいると、そのままにしておけず、
処置しちゃうので周りの人が困っていました。
身に付いた技術は年をとりませんね。

Posted by: mitsu | October 05, 2006 at 01:00 AM

mohyoさん、こんばんわ。

>介護の無い日のわたしです。

同じくです。
まだ家族がいるから、食事もつくるし、洗濯もし、買い物にも行くけれど、
これが1人だったら、母とそっくり同じ事をすると思います。

お互いに親に鍛えられて、自分の老後が透けて見えるようですね。

Posted by: mitsu | October 05, 2006 at 01:07 AM

だんばら様、お元気ですか。
blog再開お待ちしております。

私も眼が痛くてなかなか書き込めなくて、哀しいです。

私は母と仲良しではなかったので、
今ようやく普通になったところでしょうか。

今、ママと一緒になにかしようとすると、こちらの思うようには事は運びませんね。
その時によるけれど、すぐ怒ってしまったり、友達のところへ行ったきりだったり。
何か計画をしただけで、疲れてしまいます。
これも試練のようですよ。

お母様の箱作りは続いていますか?
少し小さめに作っていただいて、小さいクッキーやお菓子を入れて
クリスマスシーズンにお使いになったら如何ですか?

私が使っているお菓子のレシピ本にそんなヒントが書いてありました。

Posted by: mitsu | October 05, 2006 at 01:24 AM

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