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January 23, 2006

川田正子さんの事

今、川田正子さんの訃報を聞いた。

小さい頃、母に連れられて、海沼先生のお宅へお稽古に通っていた。
目黒のご自宅で教えてくださるのは、川田正子さんだった。
子供にとって、大人とは若いか年寄りか位の区別しかできなかったけれど
享年71歳と聞いて、随分若いときに教えていただいたのだと
吃驚した。
音羽ゆりかご会(護国寺)では海沼実先生が教えていらした。

時々、ラジオ深夜便で3代目海沼実さんの童謡のお話を聞いている。
川田(海沼)美智子さんの息子さんだそうだ。
お身内ならではの懐かしいお話が出てきて
結局終わりまで聞いてしまう。
私にとって目黒の思い出は、美智子さんが盲腸をちらした話とか
とんかつのとんきの事とかとりとめも無い。

母はホームで盛んに、
私がゆりかご会にいた事を自慢する。

母にとって若い頃の楽しい思い出なのだと思う。

歌をやめてから、遠のいてしまっていたけれど
悲しいお知らせに、心からご冥福をお祈りいたします。

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Comments

コメントくださりありがとうございました。
川田正子さんは戦後の日本を多くの人たちと共有してきました。一つの時代が終わったと強く感じています。ご冥福をお祈りします。

Posted by: 七五白書 | January 29, 2006 at 12:18 PM

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 みかんの花が咲いている 思い出の道 丘の道……。川田正子さんの訃報を聞き、この歌詞とメロディーが浮かんできました。終戦直後の頃で、「アイドル」ということばはありませんでしたが、子供たちの間ではたいへんな人気だったことが、懐かしく思い出され71歳の早すぎる別れをかみしめました。  「空襲のない日はあっても、川田正子の歌声が聞こえない日はない」と言われ、戦時中からスターだったこと�... [Read More]

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