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August 07, 2004

アルツハイマーと生きる②

痴呆 呼ばれるのいやや
 私はアルツハイマーです――語りはじめた人たち(下)

この記事の中に医師が患者ではなく付き添いの家族と話して、
患者が無視されているようで悲しいという記述があった。

これは本当で母の後ろに立っている私を見上げていろいろ説明してくれる。
その時はこちらも夢中であまり深く考えなかったけれど、
母にしたら、存在を無視されたのだから、
自分は透明人間にでもなったように感じたろう。

ある日、母を迎えに行くと、母は1人で医者に行った後だった。
慌てて追いかけていくと、母はもう調剤の所にいた。
医者は
「お母さん、娘さんに一緒に来られるの嫌なんだよね」と言った。

母を護ろうと一生懸命だった私は
心ならずも侮辱していたのかも知れない。
医師の方にも痴呆の患者は「説明しても理解できない」という
誤った刷り込みがあるように感じた。
込み入った話についていく事は困難でも話の雰囲気は伝わる(mitsuの記録)

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Comments

すごく冴える瞬間があると思います。母はハイになりおかしいことも申しますがそんな中でも真っ当なところもあります。「かわいいね」「ありがとね」など言われるのがキライらしいです。

いま母は寝たきりです。それで窓口一本にして妹が病院との対応をしてくれています。母と一緒に行って妹だけに話されたら母も怒ったと思います。

自立した社会とはいいながら説明書はめんどくさくて読まずに誰かにやってもらえないかとか教えてほしいと思うようでは老人
になってから子ども扱いされても仕方が無いのかなと反省しているところです。

介護の人たちも話し言葉をきちんとしていただことにより違ってくると思います。母の病室の方々に私は親しい(なれなれしい)話方をせずに話すと「はい」とか大声で叫んでいた方も静かになられることが多いです。

Posted by: ぴょんすけ | February 28, 2005 at 02:55 AM

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